さくさく–文芸同人サークル文学市場のブログ–
文学市場の同人が、例会の様子や文学についてなど、ゆる〜く紹介します♪
耳学問について
相変わらず寒さ厳しく、春が本当に訪れるのか、疑いたくなる昨今、梅が咲いているので春は来るのでしょう。変な前置きはさておき、大山です。今日は、人の学習の仕方の、完全素人的見解を展開しようかと目論んでおります。
さてさて、タイトルにあります、耳学問。耳学ともいうらしいですが、まあ詳しい学問的見解は門外漢なので、早々にさじを投げ、自己流に突き進むことをご容赦ください。長くなるといけないので早々に結論めいたことから言ってしまうと、耳学問って大切だなぁということです。と言って、今度ははしょり過ぎなので、二歩戻ると、文学市場の合評会が、僕にとっては貴重な耳学問をする場であるという、感謝を表したいということです。ん?文脈が乱れてきた。要するに、合評会で、僕は全神経を耳に集中して、一語一語を聞き分けるのはもちろんのこと、ニュアンス、イントネーション諸々の含意を、耳の神経で分析しようとしていることに、今日気づいたということです。常日頃は、主に本を読むことによって学習し、理解をしようと試みておりますが、耳で学習するということも、読むことと同じくらい大事なのだなと実感しているのかもしれません。
多分、あくまでも多分ですが、読むことと聞くことは、脳の違う部分を使っていますよね。脳科学知識0なので問いかけで逃げたいですが、多分違うような気がします。それから、学習する内容によって、読むより聞いた方が断然速いことも多々ありますね。パソコンの操作方法など。まあ、だから最終的な結論として至ったところは、要するにバランスだろという逃げのような落ちです。読んで学習したり、聞いて学習したり、補い合って発展させあって、でも、ご注意頂きたいのは、耳学問軽視するなかれというところでしょうか。僕はテレビは見ない人間なのですが、人の話はよく聞きます。人の話の中には、言葉そのもので表されたものの、何倍だか何十倍だかの情報量があると、僕は信じているからです。同じ言葉であっても、話し言葉は、イントネーションなどにより、何通りにも使い分けられるように、まさしく生き物だと思うからです。もちろん書き言葉もそうなのですが、やはり耳で聞く生の言葉というのは、話す人物そのものの表現であり、瞬間の勝負だと思うからです。
長くなりました。結論!合評会は、貴重な耳学問の場である(あくまで僕の場合)。だからなんだという結末になりました。すいません!
ではでは、また。
さてさて、タイトルにあります、耳学問。耳学ともいうらしいですが、まあ詳しい学問的見解は門外漢なので、早々にさじを投げ、自己流に突き進むことをご容赦ください。長くなるといけないので早々に結論めいたことから言ってしまうと、耳学問って大切だなぁということです。と言って、今度ははしょり過ぎなので、二歩戻ると、文学市場の合評会が、僕にとっては貴重な耳学問をする場であるという、感謝を表したいということです。ん?文脈が乱れてきた。要するに、合評会で、僕は全神経を耳に集中して、一語一語を聞き分けるのはもちろんのこと、ニュアンス、イントネーション諸々の含意を、耳の神経で分析しようとしていることに、今日気づいたということです。常日頃は、主に本を読むことによって学習し、理解をしようと試みておりますが、耳で学習するということも、読むことと同じくらい大事なのだなと実感しているのかもしれません。
多分、あくまでも多分ですが、読むことと聞くことは、脳の違う部分を使っていますよね。脳科学知識0なので問いかけで逃げたいですが、多分違うような気がします。それから、学習する内容によって、読むより聞いた方が断然速いことも多々ありますね。パソコンの操作方法など。まあ、だから最終的な結論として至ったところは、要するにバランスだろという逃げのような落ちです。読んで学習したり、聞いて学習したり、補い合って発展させあって、でも、ご注意頂きたいのは、耳学問軽視するなかれというところでしょうか。僕はテレビは見ない人間なのですが、人の話はよく聞きます。人の話の中には、言葉そのもので表されたものの、何倍だか何十倍だかの情報量があると、僕は信じているからです。同じ言葉であっても、話し言葉は、イントネーションなどにより、何通りにも使い分けられるように、まさしく生き物だと思うからです。もちろん書き言葉もそうなのですが、やはり耳で聞く生の言葉というのは、話す人物そのものの表現であり、瞬間の勝負だと思うからです。
長くなりました。結論!合評会は、貴重な耳学問の場である(あくまで僕の場合)。だからなんだという結末になりました。すいません!
ではでは、また。
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Re:耳学問
>大山さん
こんにちは。
耳学問ですか。正規の系統立てた教養ではないというのが、
本来のニュアンスですよね。
「よく御存じですね」「いやいや、ほんの耳学問でして」
てな具合で。
私も耳学問は重視しているかも。
というか、正規の学問が無いので、手がかりがそれしか
ないのです …… !!
こんにちは。
耳学問ですか。正規の系統立てた教養ではないというのが、
本来のニュアンスですよね。
「よく御存じですね」「いやいや、ほんの耳学問でして」
てな具合で。
私も耳学問は重視しているかも。
というか、正規の学問が無いので、手がかりがそれしか
ないのです …… !!
コメントありがとうございます!
>宮島さん
コメントありがとうございます。
僕は視力は弱いのですが、聴力は視力でいうところの、2.0くらいあるらしく、物理的には耳はいいらしいです。かと言って理解力があるかどうかは別問題なので、よくよく注意して、話を聞くよう心がけたいです!
耳学問が、正規の学問と合わされば鬼に金棒ということになるのでしょうか。
耳学問の方が楽しいのですが(汗
コメントありがとうございます。
僕は視力は弱いのですが、聴力は視力でいうところの、2.0くらいあるらしく、物理的には耳はいいらしいです。かと言って理解力があるかどうかは別問題なので、よくよく注意して、話を聞くよう心がけたいです!
耳学問が、正規の学問と合わされば鬼に金棒ということになるのでしょうか。
耳学問の方が楽しいのですが(汗
- 大山
- 2014/02/25(Tue)23:02:59
- 編集
あら難しい
脳の作り的には最終的にたどりつく場所(言語として扱う場所)は同じだけどそこに至る過程が別かな。どうだろう。脳の専門家にお任せします!
まあ堅苦しいことは置いておいて、声に乗せていかに聞かせるかは表現だよなあと。当たり前のことを言っていても聞かせること、すごく素晴らしいことを言っていても胸に届かせられないこと、たくさんありますからね。って、これも堅苦しい。
なにを話すときも、言葉に相手を思う気持ちは乗せたいものですね。という逃げで締めさせてください……。
まあ堅苦しいことは置いておいて、声に乗せていかに聞かせるかは表現だよなあと。当たり前のことを言っていても聞かせること、すごく素晴らしいことを言っていても胸に届かせられないこと、たくさんありますからね。って、これも堅苦しい。
なにを話すときも、言葉に相手を思う気持ちは乗せたいものですね。という逃げで締めさせてください……。
- 菊枝
- 2014/02/25(Tue)23:07:34
- 編集
引き続き
>菊枝さん
確かに、気持ちを乗せるのは、書き言葉よりも話し言葉の方が分があるような。僕が合評会で耳に集中していたのは、言葉の意図の上に、話し手の感情を読もうというような意識があったのやも。話す時って、相手がどんな気持ちでいるのかよくよく考えますものね。
これからは、さらに耳を大きくして、聞かないといけないですね。
こういった意識を書き言葉の文章の中に持ち込めたら、臨場感のあるせりふ回しになったりして。
などなど。
確かに、気持ちを乗せるのは、書き言葉よりも話し言葉の方が分があるような。僕が合評会で耳に集中していたのは、言葉の意図の上に、話し手の感情を読もうというような意識があったのやも。話す時って、相手がどんな気持ちでいるのかよくよく考えますものね。
これからは、さらに耳を大きくして、聞かないといけないですね。
こういった意識を書き言葉の文章の中に持ち込めたら、臨場感のあるせりふ回しになったりして。
などなど。
- 大山
- 2014/02/26(Wed)22:29:07
- 編集
耳の力、確かに。
詩や文章の朗読って、ただ読むのと、また違うものを得る気がします。語学に関しても、聞きながら書いて、声に出して覚えると良い効果を得られるっていうのも、聴覚の働きって侮れませんね。言霊というのも喋る言葉に対して使われるものだと思います。生の言葉、話す人物そのものの表現、瞬間の勝負。素敵な文章に、心が捉えられました。この文章こそ、声に出して、自分のものにしたいと思います。
- 若山
- 2014/03/05(Wed)15:41:19
- 編集
なるほど
>若山さん
昔、書くということを行っていない時代や、その後の一部の人々の間だけで行われていた時代など、話す聞くということがとても濃厚だった時代があったと思います。民話や伝説などは、本と同じか、それ以上に大切だと思います。口から口へ伝えられていく、これが伝統の一つの本質だと思います。大切なことというのはあえて、しゃべった瞬間に掻き消えていく、話し言葉で伝えられるべきなのかもしれませんね。コメントありがとうございました。
昔、書くということを行っていない時代や、その後の一部の人々の間だけで行われていた時代など、話す聞くということがとても濃厚だった時代があったと思います。民話や伝説などは、本と同じか、それ以上に大切だと思います。口から口へ伝えられていく、これが伝統の一つの本質だと思います。大切なことというのはあえて、しゃべった瞬間に掻き消えていく、話し言葉で伝えられるべきなのかもしれませんね。コメントありがとうございました。
- 大山
- 2014/03/15(Sat)21:30:18
- 編集
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文学市場は1994年設立のジャンル不問文芸同人サークルです。毎年3回、同人誌「さくさく」を発行しています。
ブログ「さくさく」では、文学市場の同人が、例会の様子や文学について、などゆる〜い感じで紹介します♪
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ペンネーム:
菊枝てんね
東京在住です。
文学市場に入会してまだまだ日が浅いですが、先輩後輩の概念がない誰もが平等なサークルなので、出しゃばりつつ口滑らせつつ明るく楽しく活動しています!
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京都在住の同人です。合評会にはたまにしか参加できないため、主に雑記に現れます。「さくさく」では今のところ歴史・時代小説を書いていますが、青春物やファンタジー、童話なども書きます。
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産みの子である作品が評価される合評会。毎回おののきつつ参加、というのは丸っきりの冗談で、褒められること批判されることありの大勉強会に感謝感謝です。小説を中心に、詩や戯曲を物する、自称「書生」?の若手?も更新します!
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東京在住です。
月一の合評会では先輩方の才気に富む意見に刺激を受けながら、まだまだ執筆経験は浅いですが、もの書きを目指しています。
「さくさく」には短いエッセイを載せています。
踊りによる自己表現にも興味があり、将来、文章と踊りを融合させた作品を作れたらと小さな夢を抱いています。
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